コスパ・タイパに優れた、最強エンタメ「アニメ」
昨今、デジタル技術が普及し加速していく世の中で、「コスパ」や「タイパ」に神経を注いで過ごさないといけない時代に変わってきました。
☆「コスパ」とは、「コストパフォーマンス」の略で、コスト(費用)とパフォーマンス(能力)のバランスの事です。
例えば、支払った費用に対して高い効果が得られれば、両者のバランスが優れていると言える為、「コスパが高い(良い)」と表現します。
☆もう一つの「タイパ」とは、タイム(時間)とパフォーマンス(能力)のバランスの事です。
例えば、短時間で高い効果が得られれば、両者のバランスが優れていると言える為、「タイパが良い(高い)」と表現します。
それらを同時に満たしているエンタメ(娯楽)こそ、「アニメ」です。
背伸びをして高い車や高級品を購入しなくても、無理をして海外旅行に出かけなくても現実と切り離しができ、お手軽に気分の切り替えが出来ます。
そして、何よりも自分のお気に入りを見つけて、笑いや感動をすぐに楽しむことが出来るのです。
なぜ、「パフォーマンス」が優れているのか?
①・アニメ専用の見放題チャンネルが、数百円/月で視聴できる。
(AmazonPrime加入ならPrimeVideo内で、追加料金なく見放題)
②・スマホ1台あれば、場所を選ばず視聴できる。
③・一話(1エピソード)が20分強なので、拘束時間が少なく、もっと短くブツ切りで視聴したとしても話が途切れない(内容を覚えていられる)。
④・テレビ、パソコン、タブレット、スマホ…インターネット接続環境があれば、何でも視聴可能。
⑤・テレビ放送が終了しているものなら、一気見ができ、モヤモヤしながら次週を待たなくてよい。
⑥・近年の物語は、「伏線」が上手に引いてあるので、「伏線回収」という楽しみ方もある。
※「伏線」とは…ストーリーの後半で「そういう事か…」と思わせるような内容を、ストーリーの前半にほのめかしておくこと。
⑦・仮に、「趣味」や「推し」としてのめり込んで金銭投入しても、せいぜいフィギュアやBluーRayBOX程度なので、ギャンブルのように生活に支障が出る支出にならずに済む。
「ドラマ」との「パフォーマンス」比較
エンタメの視聴するものとして、他にもドラマや映画といったものも存在しますが、個人的にはそんなに好きではないです。
ドラマに限っては、もう25年以上まともに継続して観たことがありません。
それには理由がありますので、「アニメ」と「ドラマ」で比較をしたいと思います。
これは、あくまでわたし個人の見解や意見であり、先入観や偏見なども含めての評価になりますので、ご理解ください。
それと、ドラマは観ないだけであって、否定するつもりは毛頭ございませんので、悪しからず。
①・コスパ・タイパ共に優れている。
②・アニメーション・音響・声優さんの能力等を駆使して、中身の完成度が高い。
③・1話が23分程度と短めなので、内容を詰め込んでいる場合が多く、伏線を見つけるには1カットも見逃しはできないほど充実してる。
④・良い作品は、後世にも残り続け、また視聴チャンネル内でも検索しやすい。
⑤・アニメである以上、設定や状況にムリが効くので、お気に入りであれば、途中で内容に飽きてしまうようなことはほぼない。
⑥・言葉1つでも敏感に反応する世の中になったが、人の容姿や行動特徴などで問題があるセリフを発したとしても、それは「キャラクター」の発した言葉として、許容される。
①・コスパには優れているが、タイパは低い。
②・役者の能力が多くを左右してしまう為、中身が薄く感じてしまう作品もある。
③・1話が45分程度あるので、そんなに重要でないシーンを時間調節で引き延ばしてあったり、本当に重要な部分を見逃してしまう場合が多く、その場合せっかくの伏線を回収できていない場合もある。
④・良いドラマでも内容や映像が時代を感じさせてしまうので、後世には残りづらく、ひとたび役者が問題を起こしてしまえば、途中止めや没作品につながる場合もある。
⑤・アニメのように「ムチャ設定」が出来ないので、ある程度の進展の予測が立つし、逆に大胆に裏切られた場合「えっ…」みたいな煮え切らない感情で終えてしまう(ストレスが溜まる)。
⑥・言葉1つでも敏感に反応する世の中になり、役者が人の容姿や行動特徴などで問題があるセリフを発したものなら、ネットやニュースで袋叩きに合う可能性もある。
楽しむだけじゃない…アニメから「学べる」!
ひと昔前であれば「アニメ観たりするよ…」と口にすると、「幼稚」だの「オタク」だのと偏見で見下してくる人達ばかりでした。
昔(過去)のアニメを否定する気持ちは一切ありませんが、時代と共にイラストやアニメーション技術が向上したばかりでなく、ストーリーの内容も変化しています。
近年のアニメには「名言」や「格言」、前向きに生きるためのメッセージもふんだんに込められているのです。
例えば、「鬼滅の刃」であれば、初っ端の1話目から「人生の格言」が飛び出してきます。
※背景(ストーリー設定)
㊟禰豆子の禰の正式字は「ネへん」ですが、旧字と現字の違いで同じ字です。
敵対する鬼は人を食らい生息する…鬼を倒し(鬼は首を切られると滅する)鬼を生み出した元凶(鬼のボス)まで討伐する物語。
物語冒頭で主人公「竈門炭治郎」の留守中に、鬼のボスに家族を襲われたが、妹の「禰豆子」だけは息があった。
何とか救いたくて医者を頼ろうと、妹をおぶって山(家)から里(街)へ下りる。
山を下りる途中で妹が鬼化(生きたまま鬼の血が体内に入ると鬼になる)し、そこで鬼狩りの剣士に遭遇してしまう。
炭治郎が鬼化した妹でも必死に守ろうとするが、鬼狩り剣士の「富岡義勇」に妹を奪われ、状況を把握した炭治郎は「妹を殺さないでください…」と懇願し土下座をします。
すかさず富岡義勇は「生殺与奪の権を他人に握らせるな!みじめったらしくうずくまるのはやめろ!」と激怒するのです。
テレビアニメ「鬼滅の刃」Ⓒ吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
※個人的な見解
これ、まさに人生の「格言」。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」を、直訳すれば「自分が生きるか死ぬかの権利を他人に支配されるな!」って事ですし、もっと砕いていえば「自分の人生の主導権を他人に操られるな!」といったことでしょう。
もっとわかりやすく言えば、「自分の歩む人生の選択を、他人に決断させるな!」みたいな感じですね。
生きていれば時には悩み、他人を頼ることもあるでしょう…それでも、人生を豊かに生きていくためには、自分が主体的になって決断していかねばなりません。
このセリフは、何より私自身が、常日頃から頭の片隅に置いている「人生の格言」。
ストーリーの中で富岡義勇は、主人公に「人生はそんなに甘いものではない、世の流れに逆らう(鬼の妹を生かしておきたい)のなら他人にお願いするのではなく、自分でどうにかしてみせろ…」と、厳しくも熱いメッセージを伝えたのです。
まとめ
先ほども触れましたが、比喩対象として取りあげただけで、「アニメが優れていてドラマが劣っている…」という事を言いたいわけではありません。
近年のアニメはストーリー構成も、アニメーション効果も私たちの子どもの頃より格段にレベルアップしていて、エンタメとしてゲームなどと同じように楽しめます。
単純にストーリーだけではなく、進展するにつれて明るみになる「伏線」といった、謎解きの様な要素も多く込められいて、それを回収する楽しさもあるのです。
人生の「名言」や「格言」、アドバイス的な要素もふんだんに込められていて、アニメーション効果と相まって、偉人や有名人から直接聞いた気分にもなれます。
もちろん趣味の領域のエンタメですので、好き嫌いや向き不向きもあるでしょう。
ですが、現在のアニメは間違いなく昔とは様変わりし、大人が嗜んでも蔑まされるようなエンタメではありません。
もし、興味があればですが、アニメの世界をのぞいてみてください。